15年前の自分
自分の店が持ちたい!
そう思ったのは
まだ26歳の頃でした!
以前blogにも書きましたが、私はラーメン屋さんになろうなんて
思いもしませんでした。
なんせ大嫌いでした。らーめんという仕事
まだ30年も前はラーメン屋さんは今みたいにTVでも取り上げないし
もちろん雑誌にも、飲食事業としてはかなり下の見られ方
でしたんで、イジメの対象にもなり同級生に実家の事話すのが恥ずかしい時代でした
そんな自分が何故?
大学生の頃、料理人になりたい自分の気持ちを両親が理解してくれず、苦労させたくなかった親の思いなんですが
公務員になってほしかったらしく
両親と初めての大ケンカ
結果
和食の仕事をしに大阪へ行き(ほとんど家出状態だったんですが)
しばらくして父が腰を痛めたんで手伝って欲しいと母から電話が….
この1本の電話がなかったら今の秀ちゃんやだるまはなかったですね
らーめんの事なめてた自分!
”戻ってきて3日で覚えれるな..今の自分は和の経験あるし…..”なんて今考えたら恥ずかしいんですがそう思ってました
3日が3ヶ月、3ヶ月が3年!
気がつけば未だに自分の思うらーめん、できてません
15年経った今でも…
毎日ブレがあり、そのブレが自分の許す範囲で収まってるんですが
やはりスープと言うものは生きてます
決して満足のいってないラーメン提供しているわけではないんですよ
自分の中で変えられないイメージがあり、なんとかその境地に行きたいと…
後3年で完成せねば
時間を決めてしているのは自分はこの仕事のプロと自負してます
毎日張りつめて、緊張感を保ち、走り続け、それでも完成しない場合私は今の立場は退いて
別の立場にシフトしようと…
さ〜残された時間はあまりないですね
毎日がらーめんと対面して早41年
今の私を育ててくれたらーめん
自分の存在意義であり自己表現できるものであり
子供のようなものであり
父のくれた宝物でもあり
母の愛情料理でもあり
私の彼女でもあり
私の人生そのものでもあり….
この素晴らしいらーめん
きっと恩返しします
それがいつか完成系であり
皆様に最高の物として提供できるよう
毎日精進してらーめん道を邁進していきます
2008年 6月 29日
そうそう、初めてのお客様?
知りたいですか?
私の大好きだった今は亡きオキさんです
福岡が生んだ偉大なダンサーでした。
当時B-B-Cの小田さんと一緒に来られて、当時まだ味が定まってないのに
”美味しいよ”って
ご機嫌に帰っていかれたの今でも覚えてます
当時は亡くなられた現実受け入れずにいて…
成長したこのお店と味
見て欲しかったし
食べて欲しかったです
もっと美味しくもっと愛されるように
頑張りますね。オキさん
見守ってて下さいね

1 users resposed " 15年前の自分 "
2008年6月30日
秀さん
15年間キープし続けてるその飽くなき探究心が、
まじカッコ良いっス!!
継続は力なり!!
ボクもがんばります!